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Song-2-Song

読書感想文・メンタルヘルスについてのあれこれ等。「何者でもない」者の日々の憂い

宗教について―最後に

或る新興宗教「元」信者の回想録

 また随分と間が空いてしまった。

 彼女の話と、宗教についての考察をまとめるのに時間がかかった。

 …というものの、結論の出ない話を延々と考えるだけに終始しそうなので、もう書いてしまおうと思った。

 

 宗教とは、「社会への帰属」を意識させるためのシステムだと考える。

 "もはや宗教用語は、公共圏で通用する言語に再翻訳すべき"と指摘されている今日に至って、世界を席巻するのは一神教だ。土着の信仰に根付いたものも多数あるし、中には信仰対象の代理人として個人を畏敬するもの(彼女の宗教もそうだった)もある。いずれにせよ、一つの共通した概念・最高神あるいは超人に対して取り次ぎを希うというスタイルをとっているだけで、一神教であるという趣旨は変わっていないだろう。

 では、宗教=その大半が一神教あるいはそれに準ずるものである理由とは何か。

 ともするとスタンドアローンとなりがちなヒトを社会に帰属するためには、言語よりも先に共通の世界観が必要だった。イメージの鎹(かすがい)として「在って、在る者」=全てのものを超越した存在を明示し、記し続け、全てのルールを取り決めている"ことにする"のだ。多神教社会にすら最高神は存在するし、それぞれの権能を司る神というのは、職業や身分によって階級が生じるということの説明・正当化にすぎない。構成員を結び付けるのは、あくまでも一つの超越した概念だ。

 それによって私たちは「ことばが通じなくとも世界観を共有している」ことに安堵し、人々を迎え・迎え入れられる。人類が農耕を始めてから、この習わしはずっと続いてきた。

 

 冒頭付近に述べたように、この社会には宗教という概念が必要なくなりつつある。理由は明白で、最小単位である"1人"を中心に思案しても衣食住に困ることもないし、思想信条を理由として侵略・攻撃を受けることに正当性なし―という新しい規範がもたらされたからだ。

 もっとも、日本のように、農耕社会に移る必然性が薄い・熾烈な多民族との攻防といった出来事に縁のない社会には、宗教というコンビニエンスな共通観を取り入れるメリットは薄かった。日本人は信仰心がないとはよく言ったものだが、宗教のそれが政治勢力に敗北し続け、キリスト教伝来時に既に近代的封建社会が出来上がっていたことを考えると、無宗教観が遺伝子に刻まれているのではないかという疑念すら浮かび上がってくる。

 

 それはさておき「現代に宗教は必要なくなった」とすら学者に言わしめたにもかかわらず、ここのように地政学上恵まれた国だけでなく、世界中のいたるところに、新しい宗教・イデオロギーが生まれ続けている。何故なのだろう。

 

 現代に生きる私たちが最優先で忖度すべきとされるのは、自分自身だ。結果と行動のスケールを常に比べながら、己と向き合って生きていかねばならない。しかし、それだけでは説明し得ない・己を納得させられないといった事態が、未だ多数起こり得るのは否めない。

 経済格差、機能不全家族、事故、理由なき不運。

 己の行動に理由を帰することのできない出来事が生じたとき、結果と行動のスケール差があまりにも大きければ、心の処理が滞る。いわゆる人生哲学や「運の平等主義」というのは、それに無理やり解を与えるものだ。もちろん、これらを上手に使って己を満足させられる人が大多数である…そうでなければ、社会は崩壊する。だが、そういう生き方を考えなしで礼讃する気にはなれない。人間至上主義から始まる孤立に対して、"普通はこう考えるだろう"という支柱が植え込まれているに過ぎず、植え込んだのは運・生を享ける前から存在するコミュニティなど、その本人に帰することのないものだと考える。

 

 ――

 3月から4月中旬にかけて、キリスト教の世界観では四季のはじめ…「灰の四十日間」とよばれる期間になる。受洗する者は、古代教会では3年間・現代においては1年間程度のカテキズム教育を施された後、前述の期間の終わりに洗礼を受ける。

 キリスト教と言えば、福音主義と言われた改革などもはや過去のことで、ローマ=カトリック正教会に属さない多くの派閥が、聖書のなかから都合のよい教えをとって宣教活動をしている。日本でも有名な新興勢力があり、そもそも「神」という言葉に親しみのない日本人にとっては、礼拝の風景などは異様に見えるだろう。

 

 前置きが長くなった。

 筆者はローマ=カトリックの信徒で、毎週欠かさず礼拝に出ている。

 まあ教会というのも日本の寺とそう変わらず、拠点ごとに既存信者数・入信者数を記録している。自分が通う教会でも、2月時点で今年の受洗者の人数は出ていたが、3月のミサにおいて紹介された受洗志願者の数は、倍ほどにも膨れ上がっていた。これについて、当初は在留外国人の増加の証左だと単に考えていたが、受洗志願者と直接ことばを交わしてみて、少し驚いた。

 実際に受洗する人のおよそ過半数

 「聖書を読んだことがない」

 「キリスト教との接点のない」

 "何の変哲もない"日本人だったのである。

 ちなみに数値を挙げておくが、日本国内における・日本国籍のローマ=カトリックの信者は、国籍を保有する全人口の1%と聞いた(正確ではないと思う)。

 

 さらに僧職の方々の言によると、他の教会でも同じ現象が起きているようだ。何故なのだろうかと考えるうちに、冒頭から縷々と語ってきたようなことを思いついた。

 

 共通の世界観を持ちえずとも生存することが可能になった今、生物として一次元上昇するか・より多くの人を抱え込める「宗教」を生み出すか…私たちは岐路に立たされているのかもしれない。

 自己責任という御旗のもとに、狂信者の卵となり得る人たち・支柱なき精神的弱者を排除するのは簡単である。そういう考えがマジョリティであるし、死後の世界を私たちが知り得ないように、精神薄弱者の世界を私たちの脳に連結することは不能・やりもしないことだ。彼らが生み出す芸術をもてはやすもよし、マジョリティにとっては何か別の生物とも感じられる存在だろう。

 

 しかしよく考えてみてほしい。狂信者・精神的弱者をも守るのが人権の本質というのなら、その負荷は極めて非効率なかたちで、多くの人に分配されている。ましてや、彼女とその母のように、親から子へと伝播するなら?

 弱い人々を個人が切り捨てるとしても、市民という単位では結局背負いこんでしまう。彼らを根本的に救う、新しい共通の世界観がいずれ必要になるのは目に見えていると、私は考える。

 

 私や彼女たちのことを、宗教狂いなどと指さして笑うのは構わない。

 多数の狂信者が正常とみなされ、現在進行形で殺戮や闘争がしばしば起こっているのも、認めるべきだろう。

 しかし、至高の概念に頼るしかない人々を非難し排斥し続けても、世界の底を支えている不文律が彼らをコスト付きで庇護する。そうして費やされるものが、いずれ自分たちの上に重石として圧し掛かってくることを、より多くの人に考えてほしい。

 「頭がおかしいから関わらないでおこう」と個人単位でやるのは結構だが、全体がそのように流れてしまうのは考え物だ。

 

 私たちには、他の世界観について考える時間があるべきだと思う。

 その時間が許与されていないのなら、社会が混迷している可能性を疑いたい。

 

 

 なんだか変な話になってしまったけれども、終わり。

「オルタ―・エゴ」

或る新興宗教「元」信者の回想録

 改めて念を押すと、本記事と同じカテゴリに入っているものは、全て知人からの伝聞である。

 彼女についての付記として、その人生の核となった「解離性同一性障害」について書いておく。検索窓に入れてみればすぐわかることだが、有体に言えば多重人格という状態だ。

 

 ここに書くきっかけとしては、彼女自身が、8年がかりでようやくその全様がつかめたことにある。大学病院に4年通い続けるも寛解の決定打にはならず通院を中止、カウンセリング・薬学治療を今も続けているそうだ。

 この件について知る人はごく限られているとのことだが、

 「人に話してもよいし、ネットに書いてもよい」という許可を"全員"からもらったので、好奇心で書くことにする。ちなみにここ数カ月ほどは状態が安定しているとのことだ。

 

 

<カウンセラーのメモ(改変)>

"問題となるもの"

 

①「本人」

→もともとの性質。7歳頃の脳しんとうを起こす事故がきっかけで眠っている。

 

②「支配者」

→全員のまとめ役。①が眠ったときに誕生。生活と記憶のつじつま合わせ・病状の徹底的な隠蔽をしている。

本名を名乗る。肉体と性別が異なる。

病気について状態を認めない

(※この人物と筆者は話している。記している時点で2年間は支配が継続している)

 

③「コピー」

→母親に従順、その生活態度を真似てできた性質。②が強いストレスを感じそうな時に現れる。狡猾・激情型で問題行動を起こす。

偽名を使い分け、②のフリをすることもある。

現れた場合2~3日から最大で2週間、②がこの記憶を管理することが出来なくなる。

数年前まではこの性質が"支配者"だった。

今は眠りつつある。

 

④「学生」

→陽気で、前向きなことを決めるときに現れる。記憶の共有が難しい。名無し

 

⑤「悲観者」

→常に泣き、自殺を試みる。理由はない。③と⑤だけが肉体と性別が一致。本名を名乗る。

 

⑥「偽造の達人」

→③の協力者。問題行動を起こす。名無し

 

⑦「ゲーマー」

→対戦型のゲームを好む。密室で1人のときに現れる。どの性質よりもゲームに長けている。名無し

 

⑧「ハードディスク」

→機械的な数字やデータの管理者。現れない。名無し

 

 

<問題点>

②で安定しているが③・⑥との対立が激しい。

②の他の性質に対する理解は進んではいるが話し合いが必要

 

 

<方針>

②が管理している状態を継続すること。

大学病院への通院を推奨

(※全性質が拒否したとのこと)

 

 

―以上。

…機械的な記録となるけれども、終わり。

或る新興宗教「元」信者の、回想録(終)

或る新興宗教「元」信者の回想録

虚構。

想像上の秩序。 

 ―サピエンス全史

 

本記事では「彼女」が事実上の破滅を迎えるまでを書く。

自分の宗教に関する考察は、別途補足する。

 

<石鹸売りの男の嘘>

 「私」の人格がスプリットした、と述べた。

 オルター・エゴと呼ばれるものの存在を書いたフィクションは多数あるけれども、あらすじを追うと「自分と同じ体験をしている人は、他にもいる」という確信が持てる。

 スマートフォンタブレット端末の普及により、ネットから大人社会の情報を仕入れた早熟の子供は、そう珍しいものでもなくなった――が、あの時洞察していた「私」は、そんな類のものではない。少なくとも、これを述べている自分とは異なる「私」だった。必要に迫られてイマジネーションだけで作り上げた、巨大な大人の像。

 

 母が宗教に陥った理由を分析した。

 依存しなければ砕けてしまう心。

 彼女は、社会と接点を持ち・賞賛されることを、人生の最重要課題としている。

 そして、彼女の自己認識の鍵を握るのは、もはや「私」しかいないこと。

 …つまり、母を生かすも殺すも私次第だ。

 

 まずは彼女に、社会の情報をもたらすことから始めた。私がいかに賢い子供で・いかに大人たちに認められているかという情報に付与する形で、である。そうでなければ、情報に信ぴょう性がなくなる。

 また、偽りの開放感を演出するため、彼女にネットゲームを薦めた。案の定、依存してくれた。

 そのうえで、私たちの「宗教」に依らない選民意識を植え付ける試みをした。

 私は素晴らしい、私を教育した母も素晴らしい。世界中の人がそう褒めてくれる。出会う人みんなが特別扱いをしてくれる!

 

 …愚かな彼女は信用してくれた。

 ここで私の計画は最終段階に入った。

 私たちを賞賛する「世間の」全員が、宗教を非難している。

 信者仲間には、母が侮蔑する被差別民がたくさんいる。

 さぁこの宗教と、縁を断とうではないか。

 

 嘘に嘘を塗り重ねた、数年に及ぶ試みであった。

 母は、敬虔な信者をやめて、「私」の敬虔な信者となった。価値観の中心に私がいて、それが成功の証で、もはや宗教に依る必要などない。

 私はほくそ笑んだ。

 

<崩落>

 これが最後の回顧となる。

 神具は変わらず家にあり、処分こそされなかったが、母は痛烈に宗教を非難・私を宗教から守ってくれるようになった。だが、依られる側の立場のことを、私は想像したことがなかった。

 

 宗教とはネットワークだ。

 世間全体の良い部分を、数百人・数千人が共有する架空の概念に圧縮するということだ。架空の概念・そしてそれを担う人々の役目は、決して1人ではこなせない。如何な新興宗教、個人を信奉するような形のものであったとしても、その個人が自発的に信者を結び付けているのではない。あくまでも「信者たちが思い浮かべる想像上の神・個人」の集合体が宗教における会話・儀式なのだ。

 そして重要なのが、その場で行われるすべてのことが、自分の良識を疑う人々…つまりは信者たちに、安寧と秩序をもたらすという事だ。それをいきなり、無理やり枷が外されたとしたら、どうなるのか? 

 

 私は大きな過ちを犯した。

 世間を圧縮して母に提供をする・母のイマジネーションのなかの世間という役割を、1人で背負い込んでしまった。ましてや、それは不完全な思春期の子供だ。

 私が人間として見せる一面に、彼女は失望した。

 私が彼女にもたらした希望・社会を上空から見下ろす悦よりも、私個人の醜悪な一面への嫌悪のほうが、優っていたのだと思う。

 

 母はたびたび私を罵倒するようになった。

 人間としての「私」に対し、彼女自身が劣っていることを認識するたびに、発奮し暴れるようになった…そんなときは、包丁やハサミを手に私を追い回し、追いつけない場合は私の所持品を気のすむまで嬲り続けた。

 私は次第に無気力になった。

 元々幽霊のような存在であった妹も、ほとんど家に寄り付かず、学校とアルバイトの掛け持ちで不在だった。

 

 私たちの家庭を支配するのは、信仰や共通の概念から解き放たれた、獣のような暴力・悪意だった。知識や良識などといったものはまるで役に立たない。

 毎晩吐き気がするまで母の代わりに「ネット上の会話」をし、その結果次第で褒められたり所持品を壊されたりした。母が寝付いたあとに映画やアニメの鑑賞をし、翌朝早くに起きて「母の代わりに」ネットのアバターを操作する。

 

 数年後、私は自殺未遂をした。

 深く帰依するようになっていた、ある宗派の寺院の前でのことだった。

 

 これ以降、正確には「このときの話」については、誰にも話していない。

 現実の知人友人はもちろんのこと、これが載るであろう場所を教えている、誰にもだ。

 血縁上の父に付き添われて色々なテストを受け、解離性同一性障害PTSDなどといった診断がつき、即時入院を勧められた。だが私は拒んだ… 

 この世界に私の知らない秩序があるなら、きっとそれが何とかしてくれるのだと思っていたから。

 

 その先には、果てしない空白の時間が広がっていた。

 神も人も存在しない、ひたすら罪の意識に苦しむだけの時間が。

 

 あるとき、私は実家に帰った。

 宗教の痕跡、巨大な祭壇がまだ残っていた。洗礼を終えて名前を得た日だった。イタリアの僧侶に祝福されたロザリオを胸にかけていて、これを期に実家の私物をすべて処分しようと考えていた――

 私がジャケットを脱いだ時、胸元を見た母が叫んだ。

 「出ていけ!」

 そうだ。

 もう私たちは、別の世界の人間になってしまったのだから。

 

 

或る新興宗教「元」信者の、回想録2

或る新興宗教「元」信者の回想録

随分と間が空きましたが、引き続き書きます。

 

<狂信>

 日没直後の薄暗がりの中だった。

 母はママチャリの後部に「私」を、前部に私の妹を乗せて、川べりを走っていた。道の脇に落下防止の柵があったが、いつ自転車が暴走して真っ逆さまに川に落ちるやらと内心独り言ちていた。

 

 「ご神体」の霊的な力は消費物で、定期的に「会館」へ持ち寄って交換しなければならないという決まりがあった。私たちはその道中で、例のモノは前かごに入っていた。

 母が言った。

 「ご神体があるから事故には遭わない。でも、これが川に落ちそうになったら、真っ先に(子供たちを)捨ててご神体を守る」

 女性の力で2人の子供を乗せて自転車を走らせるというのは、かなりの労力・集中力が必要であると考える。だが母は、先の発言をしながら振り返り、私を見てにやりとしていた。その時、私は自分の存在の全てを思い知った。

 

 信者としての格は、所有している神具の値段・宣教活動の熱心さで決まる。

 結婚してから改めて購入したらしい神具は、いずれも高価な部類であった。が、父である男の収入にも限りがあるわけで、誰よりも豪奢にとはいかない。そのことで、母は随分と父を責めたてたという。これが離婚事由のひとつだったと、彼の言である。

 そんなわけで、小地区と大地区それぞれの仕切り役・長老枠、そんな信者たちが「集会」にて主だった活動をしていた。信者の家庭の子供たちは集められ、彼らの前で祈りに励んだり、時には政治的活動に駆り出されることになっていた。

 「私」は、いわゆる教育ママという部類であった母によって、漢字の読み書きなどを含む早期教育を受けていた。暴力は日常茶飯事であったが、近隣の信者たちはどうやら黙殺していたようだ。母の教育も、私のためというよりは彼女の功名心のためであって、格の高い信者たちの前で教育成果を披露して褒められることにあった。少なくともそれは実現し、子供ながらに私も少々の満足を得ていたことは認める。

 成人した私が分析することだが、彼ら信者としての「信仰心のバロメーター」は、全て同門の他者との競争原理に投じられていたように考える。これ自体は至極単純で、旧教(キリスト教圏におけるカトリックという意味だけでなく、各国に広く勢力があり史実ともかかわりのある宗教のことをここでは指す)との明確な差なのであろう。

 競争心の扇動は、新興勢力の拡大にとって最も「手っ取り早い」方法に違いない。なかでも依存心の高い人々は、忠実な手先となって働くであろう…例えば、母のような。

 

 事実として母は、

 人前で私が如何に難読漢字を読んで見せても、

 毎日朝晩、数時間に及ぶ祈りを捧げてみせても、

 本来は大人が述べるべき政治的主張をしてみせても、

 信者間での「お使い」を上手くこなしてみせたとしても、

 ひとつとして満足しなかった。

 

 「あの信者さんの家の、あの子はもっとやれる」

 その指摘は延々と続き、母の私に対する常なる糾弾は、容姿・セクシュアリティにまで及んだ。結果として、私が自罰観に満ち溢れた・生気も目的もない人間になり、母の思い通りの人間になるために「人格がスプリットした」ことをここで述べておく。しかし、この話を掘り下げると本題から逸れるので、筋を戻す。

 

 ある日、私は「偉い信者さん」の家に一人残された。はっきりとは思い出せないが、母自身の仕事が長引いたこと・その信者が私への宗教的教育を施そうという申し出をしたことが、理由だったと思う。

 その家庭は中年夫婦で、子供たちとはすでに連絡すらとれないといった状況であった。今思えば、彼らは信者であるという義務から逃れたのであろう。

 夫婦のうち妻だけが「お菓子を買ってくる」といった理由で家を空けた。

 私は夫にいたずらをされた。

 

 全てが終わって自宅に帰った私は、黙することを固く決めていた。だが、母と共に風呂に入る習いがまだ残っていたのがまずかったらしい。風呂あがり、理由は特にないが激しく暴行を受けた。

 「信心しなさい、そうすれば男の人から守られる、そして男の人に気をつけなさい」

 …訳が分からない。

 狂信者の言うことは、本当に訳が分からない。

 

 

<宗教の性質とそれを取り巻く人々>

 縷々(るる)と母の狂信について述べてきたが、ここからは回顧も含めて、宗教としての態度や性質を記す。

 私の家庭では「口に入るものは汚いもの」と考えられ、読み古された広報をテーブル一面に敷いて食事をするのが習わしであった。文字教育のためのものではない「読みもの」を読み下したのは、それが初めてだと思う。

 その当時、「宗教」は旧教勢力に破門されたばかりであった。ある国でカルト指定を受けたのも同時期であったようだ。政治に一勢力は築いていたものの、宗教としての在り方は捨て鉢になっていたのであろう。

 広報の大半は社説のようなものであったり、大見出しは教祖の活動についてのものだったりした。他宗のように、教義的なことはほとんど書いていない。その代わり、いたるところで旧教勢力に対する罵詈雑言・恨み節を書いていた。事実や統計的資料は一切なく、「アホ」「バカ」などといった類(実際にはもっと文語的ではあったが)の極めてお下劣な言葉が並んでいる。私は子供ながらに「なんて品性がないんだろう」と思っていたが、意地悪な下心と子供特有の好奇心で読んでいた。

 …品性などと私が宣うのもおかしな話だ。家庭ではもっと汚い言葉が飛び交っていたのに。

 

 ともかく、旧教勢力と袂を分かつにあたって、天理教などに見られる地域密着・教義の安定性というバックボーンを失った「宗教」は、やけくそになっていた。韓国に時々現れる扇動政治家や、北朝鮮のような体制…他者批判による信者同士の結束へと舵を切っていたのは間違いない。政治にも深いかかわりを持っていた彼らは、同時期、熱心に大陸への勢力拡大もやっていたようだ。教祖が中国の政治家や思想家と面談したりする様子が丁寧に綴られていた。

 私のなかに「なにか、おかしい」という感情が根付いたのは、広報を読んでからであろう。子供ながらに、読物として間違っているという言語化できない考えを抱いていた。

 

 小学校に上がったころ、ある男児に突然後ろから殴られた。

 首根っこを掴まれてトイレまで連れていかれ、便器ブラシで何度も殴打された。体格的に全くかなわず、されるがままであったが、その少年の名札をみて思い出した。

 …母が日ごろ悪口を言っている「2軒むこうのAさんのところの子供」だ。

 

 自宅の近所はほぼ信者だったが、当然非信者もいた。彼らが外部から情報を仕入れて、私たちが「おかしな人々」であることを知っていたのは想像に難くない。Aさん一家は非信者であり、A奥様は非信者同士の井戸端会議をまとめる「ボス的存在」であった。母が明言しなかったがために、成人してから知ることになったが、要するに

 「おかしな宗教に入っているおかしな子供」ということで迫害されていたわけだ。

 

 私と同じように虐めを受ける同級生(信者)が多数いたようで、彼らのほとんどが状況を見かねて地域から離れていった。恐らく、宗教の態度がために、一時的に教祖の求心力がなくなる・信者が強い迫害を受け「身をひそめる」という事態が、全国的に起こっていたのだと思う。

 社会に出たとき、「信者」であることは何となく分かるけれども隠そうとする知り合いが多かった。もちろん、信者であること以外に社会的ステータスを持っている人は、隠す必要もない。私の幼年期とて、信者のなかでも地元の名士などは、そのまま地域に残り続けていた。

 

 

<「私」の行方と改宗の誓い>

 非信者の通報により児童相談所に一時保護された私は、その後ますます孤立を深めることになった。(恐らく)9歳の頃に母のもとへと帰ってきたが、母は迫害を恐れて私を自宅から出さなくなった。学校教育の代わりとして、数十万円の通信講座に申し込みをして私に学ばせた。…「迫害を恐れて」の部分は後に知ったことである。

 彼女は職を辞しており、明確な精神錯乱の症状が見られた。日がな一日、私の校区にある小学校に電話をかけて、ありもしない事実についてクレームを言っている。と思えば、信者仲間について

 「我が家は金こそないけれども、彼らよりは家柄がよい。一線を画している」

 などと言う。

 彼女は依存の対象をすべて失いつつあったのだ。

 夫。

 金。

 私の母への忠誠心に対する懐疑。

 …信仰への懐疑。

 

 最後のものが決定打になったのだと思う。だが、母の功名心だけは失われなかった。

 

 中学校入学まで僅か2年といったところで、母は私に「とある仏教系の進学校」に入学するように"命令した"。もはや母には生活力はなく、銀行の口座の取扱・買い物・掃除・その他あらゆる家事を私がするようになっていた。こういった環境下で受験勉強をする時間などなかったが、私には或るアドバンテージがあった。

 

 当時の私は、買い物の帰り、街の書店で立ち読みをするのが趣味であった。母が購入した高額な通信教育の教材には全く興味がわかず、母はクレーム電話に夢中だったので上手くサボることができた。その代わりに、書店で好きなだけ本を読む。

 本を買いたいと申し出ると、私をインテリに仕立て上げることが出来るかもしれないという期待から、母は快諾した。とはいえ、家計は逼迫しており、渡された額は微々たるものであった。

 選書を慎重に行い、特別手元に残したい本は買う。それ以外は、足がパンパンになるまで立ち読みをする。…児童文学などから始まり、それに満足できなくなった私は、大人向けの書籍コーナーで小説や史書を読み漁るのが常となっていた。

 

 そういった経緯があり、受験にあたって文系の科目については然程苦労しなかった。まあ大丈夫だろうという予想を立てたのも、書店に並んでいる過去問を立ち読みで解いたからである。

 心配なのは数学であった。あれは筆記しないと身につかない。学生時代は、一貫して苦労し続けた。

 

 …私はその朝、鳥居をくぐった。

 教義において固く禁じられたことを破ったのだ。そうしなければ試験会場には着かない。けれども自分の心を止めておくものは何もなかった。全ては母のためであり、信仰も母に捧げていたと言っても過言ではなかった。

 

 学校には2種類の学部がある。志望し受験したのは、旧帝国大学への進学率が極めて高いコースであったが、難なく合格することができた。学校の入学費免除も受けられる順位だったので、私にしてはよくやったと思う。母は大喜びをした。

 が、その噂を早速聞きつけた近所の信者・長老・地区長達は、私のそばを通るたびに言った…

 

 「おかあさんのように、地獄に落ちる」

 

 私は何もかもを見下すようになっていた。馬鹿馬鹿しい、地獄などあるものか。信者たちに話しかけられても徹底的に無視をし、小走りに去った。奨学金の申請をするときなどは、誇らしい気持ちでいた。だが、この段階では「信者でなくなる」という発想をまだ抱いてはいなかった。

 

 学校は厳しいところであった。

 入学早々、すでにクラスメイト同士のグループがいくつか出来上がっている。進学塾の同門同士で組んでいるようで、私は仲間はずれであった。

 また、進学塾では、義務教育だと中学初歩となる教育も先取りするらしい。学校側もそれを踏まえたカリキュラムを組んでおり、ついていくのも一苦労であった。文系科目は過剰と言ってもいい知識があったので何とかなったが、理系科目はかじりつくように授業を聞いていた。

 

 孤立した私が向かう先は、学校では図書室か教員室・家ではインターネットであった。ネットの意見を見ると、随分と宗教批判がされている。影響されやすい年頃ではあるものの、まだそれは改宗の意思にはつながらなかった。

 

 進学校にはしばしばあるらしいが、神学・マナーなどの講義は、授業が急遽自習となったときに行われる。我が校は仏教校だったので、僧侶の資格をもつ教師がそういったものを担当したが、生徒の間では一貫して「自習時間」と呼ばれていた…生徒たちが何をする時間なのかは、言うまでもない。

 「自習時間」の教師であるK先生は、文字通り破戒僧であった。

 生徒が聞いていないのをいいことに、コーランだの聖書だの、他宗のプリントを配ったり読み上げたりする。揚げ句は

 「カント思想について原稿用紙1枚程度で感想を書け」

 などと言い出す。当然、誰もやらない。

 

 だが私は強い興味を持った…思春期まっさかりで、本の虫どころかカビと化していたのだから仕方がない。K先生の後をついて回り、図書室にいるK先生のそばにさりげなく座るようになった。

 K先生とよく話すようになった。

 先生は早口で、おたく気質だった…成人した今なら、先生と有意義な会話ができたかもしれない。英語を解さない人は世界中の本の九割は読めない・ラテン語ギリシア語はインテリの基本教養だと教えてもらったのは、この先生が初めてだ。

 

 ここで一冊の本を紹介する。

 「ブッダの真理のことば 感興のことば」―岩波文庫

 

 手擦れし黄ばんではいたが、皺もヨレもない美しい本であった。岩波文庫が美しいと強烈に感じた体験である。有名なアニメ「攻殻機動隊」シリーズでも取り上げられているので、是非読んでほしいと思う。

 

 K先生は「君にやる」と言った。

 私は、母に見つかるのを恐れて、自宅でこっそりと読んだ。

 

 なんども本をめくるうちに、やっと私は本来の信仰というものを知った。

 信仰とは耐え忍び、依らず、ただひたすら前進するものだ。

 

 進学校の同級生たちのことを話すと「外国人・被差別部落民の苗字」と母はこき下ろし、私がいかに素晴らしいかをまくし立てる。

 自分は「信者」たちのなかでは蔑視されているが、私を通じて社会的ステータスを手に入れた!これで胸を張って信者仲間に入れる!

 

 …本当に、狂信者とはわからない。

 私は決意した。

 母とともに改宗する、そのためにはどんな悪事にも手を染める、と。

 この後述べることは、私の罪の全てである。

 

 ―続

抑鬱状態

顎下、うなじに玉のような汗が流れる。

体の末端がジメジメとする。

襟足からつむじにかけて、鼓動と同じリズムでズキズキとする。


何も考えられなくなる。

1メートルが100メートルに感じる。

それでも理性が、食べたくもないものを口に運び、ToDoリストを消化するよう手に命じる。


声のコントロールが出来ない。

音が頭の周りでお百度詣りをしている。



今日も何も出来なかった。

今日も無為に寿命を使った。

泣くことも怒ることもない。


「仕方がない」

その言葉から逃れられない。

死ぬことは考えない。

多分、考えたとき、すでに死んでいる。 


それが私の生活。

或る新興宗教「元」信者の、回想録1

或る新興宗教「元」信者の回想録

 糊口をしのぐ手段として、「読ませる」体裁の文を書くことが多いのにもかかわらず、このブログで繰っている日本語の語彙や文法は、目も当てられないさまである。

 恐らく、ブログの存在そのものが自慰だからであろう。要するに、読み返し・構成の変更・訂正の一切をしていない。内容も閉塞している。

 そりゃ、誰も読まんわけだ。

 

 これから書くことは、ある女性の体験を伝聞として知ったものを、独自で事実関係を洗い、整理したものである。一部脚色や誇張、事実と異なることがあるかもしれないことを、ここで断っておく。

 長年温めてきたことなので、人に読んでもらう体裁で書くつもりだ。

 もし読んでいる人がいるなら、匿名でかまわないので、感想をいただきたい所存。

 なお、体裁としては「自己体験」として書くので、そのように読んでほしい。

 

 

<彼女の暮らしについて>

 私は、妹・母・長子である自分の3人家族だった。当時としては珍しい「授かり婚」であったが、私が3歳の頃に父母の夫婦関係は破たん、別居に至る。それから5年が経過することで、2人の離婚が成立。

 母には兄・姉がそれぞれ2人おり、母自身は5人中の末子であった。母の家庭もまた「父子家庭」で、親族からの冷遇・ほとんど家族を顧みない父(私の祖父)の存在により、兄弟姉妹たちの生活は荒れたものであった。

 最初に、その「宗教」に入信したのは、長女…私から見て、上の伯母であった。

 

<彼女の母の暮らしについて>

 母の両親、つまり私の祖父母は、女系の跡継ぎで祖父が婿養子として迎えられている関係であった。母が10歳ころまでは、祖父母の仲は良好だったという。

 「元公家で資産家」であった母の一族は、長子から年齢順に重んじ、伝統的な男尊女卑の習慣を守っていた。長男(上の伯父)と長女(上の伯母)は激しく反目、末子である母は幽霊同然の扱いであった。母を哀れんで何かと世話をやいた、彼女の祖母(つまり私の曾祖母)は、早々に認知症を患ってしまう。

 

 そのうちに事件が起きる。

 長男(私の上の伯父)が交通事故に巻き込まれ、半身不随となってしまった。相手方から相当額の賠償を引き出すことこそ叶ったが、本家の跡取りが障碍者となってしまった事実は、親族たちを悲観させた。

 長男を溺愛していた私の祖母は、これをきっかけに不倫に走り、駆け落ちをしてしまう。上の伯母はというと、長男が引き続き親族の愛情を独占していることに落胆、自堕落な生活を送るようになった。

 また、一連の事実そのものが、本家筋である母の家族への好奇・軽蔑・非難の見方を強めることになる。その重圧が集中するのは、一番軽視される末子…つまり母であった。

 

 母は、義務教育期間のほとんどを、家庭内暴力・ネグレクト・校内でのいじめ等、枚挙に暇がないほどの冷遇を受けて暮らした。いじめについては、遠方の公立高校に通うことで解消される。母にとっての黄金期は、高校時代と言っても構わないであろう。

 母が高校に進学したころ、長女(私の上の伯母)が結婚。

 その相手が「信者」であった。

 

<母が「入信」するまで>

 その宗教は、信者数ではなく、戸数で統計をとる。

 狙いは明確である。信者を個人単位で獲得したとする。彼ないし彼女の家族全体もまた、入信したものとして強制的に見做し扱えば、事実上の勢力拡大ができるという寸法だ。なお、ふつうは「信者・その配偶者・子」を一括りとして「1戸」とする。

 

 また、新興宗教はたいていそうするように、信者個人での宣教活動を推奨していた。その場合、信者の兄弟姉妹・父母などを積極的にターゲットにするように指示される。

 

 伯母は婚姻により信者となったが、いびつな成長を遂げていた彼女は、たちまち「敬虔な信者」となった。宣教活動も極めて積極的に行い、母を含む兄弟姉妹の全てが信者となった。ここからは、当時の母について言及する。

 母が入信をきめたのは、高校卒業後・就職してから3~4年ごろと想定される。

 バブル初期のころであろう。

 

 銀行員として華やかな生活を送っていた母は、その後精神に変調をきたし辞職。

 入信当時、一人暮らしの自室で、貯金を切り崩しながらギターを弾いていた。当時はまだ概念すら出現していなかった「引きこもり」の、不名誉な先駆けである。

 「集会」や「信者訪問」は、端的に言えば、母の心を癒したと考える。

 それは社会復帰させようという試みの類ではなく、信仰心なるものを確認し合うための習慣だ。それでも、他者が好意的に関係してこようとするのは、支えになったであろう。また、兄弟姉妹やその配偶者との関係も、信者仲間であるという意識によって改善が見られた。

 ここまでは間違いなく、宗教…信仰の「良い面」である。

 

 信者の義務として課せられていることを、少し列挙する。

 まず信者は、「広報」を有料で定期購読しなければならない。

 あわせて、祈りの為の諸々の品も用意しなければならない。

 ・祈りが込められた「ご神体」…家庭での祈りの対象となる。

 ・家庭で「ご神体」を祀るための祭壇…

  安価なものでも、当時の貨幣価値で100万円は下ることはない。

 ・数珠やロザリオに相当するもの。冠婚葬祭用と家庭用で区別。

 ・集金活動/集会時の一定額以上の寄与

 

 まだ若く・生家をあてにすることもできない母にとって、これらの費用を捻出することは、すなわち否が応でも社会復帰せざるを得ないということを意味していた。

 母は再び勤めを始めた。

 ところが、普通の勤めでは、単身での信仰生活を支え切れない。

 母はOLとして勤める一方で、夜の接待業にも身を投じた。

 兄弟姉妹の誰もが、その事実を黙殺した。結局のところ、彼らにはやはり家族愛はなかったわけだ。

 

 異性関係も激しかった母は、数年後、昼の勤め先の男性との間に子を授かる。

 2人が出会ってから、まだ数カ月ほどのことであった。

 母の胎内にいたのが、私であった。

  

 「私」の名づけの際、相当の苦労があったという。

  結婚にあたって、父となる男も信者活動をすることになったが、彼にはこれといった「信仰心」はなかった。ただ母かわいさに、母の言うままに事を成すだけの、愚直な男であった。我が子への愛情も平凡な父親そのもので、夫婦で平凡な名をつけることを望んだという。

 一方で、母が所属する小さな信者集団の中では、初子に老人たちで名前をつけることが習慣化していたようだ。――これは恐らく「宗教」の教義にはないことだが、地方独特の閉塞的な環境との習合によって出来たものであろう。

 では母自身はどうだったのか。

 夫妻の一番の望みは、「私」の誕生により母の躁鬱的性格の改善がもたらされることであった。これを後に「私」に語ったのは父のほうであったが、母にもその望みがあったことは間違いないだろうと推察される。

 信仰や異性関係にもたれかかって生きていた母は、このときようやく自分の意思を示したという。

 

 あらゆる反対を押し切り、母の自由な発想でつけられた名前は、私を苦しめた。

 信者たちからは「縁起のよくない、望まれなかった子」と直接言い渡され、

 そうでないものからも奇異の目で見られた。

 

 ―続く

愛について

自省録

愛は寛容なもの、

慈悲深いものは愛。

愛は妬まず、高ぶらず、驕らない。

 

愛は、決して滅び去ることはない。

預言の賜物なら、廃れもしよう。

異言(※シャーマンなどによる神の言葉の代弁)なら、やみもしよう。

知識なら、無用となりもしよう。

 

残るのは、信仰・希望・愛の三つ。

このうち最も優れているのは、愛。

 

― コリント第一・13

 

汝自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ。

他者への愛は自己愛を律する。

…覚えておこう。