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Song-2-Song

読書感想文・メンタルヘルスについてのあれこれ等。「何者でもない」者の日々の憂い

読み物の値段

読書の方法

 今また売れ筋ランキングの上位に食い込み始めている「思考の整理学」という名著があるけれども、私はとにかく好きで、暇なときはタブレットを開いて読んでいる。

 

 創造することも、されることも、見聞きすることにも値段がかかる。

 上述の本は、流行り物の自己啓発本にありがちな創造の大仰さというものがなく、まぁ有り体に言うと飾り気がないというか、そういったところが私のつつましい暮らしぶりに合うのだと思う。

 

 ついに読む本がないと、聖書を開く。キリスト教関連の本というのは、学術の原典となるが極めて少ないにも関わらず、ばかみたいな数の書や論文がある。全てに対して興味を抱くのは簡単だ。たとえば、遠藤周作氏の本。今度は一冊が映画として公開もされる。彼の書いた宗教観に基づく本なんか、全冊集めようとしたら数千円では済まない…と思う。

 やはりそうなると、聖書しかなくなる。

 古書というのは固く結ばれた袋のようなもので、これであれば教会のお偉方があとから解説を加えて、ようやく精読が可能となる。あの意味のわからないようで、とっくに意味を知っている、奇妙な感覚に基づいてただ行間を読んでいる。

 

 何も求めずに書を読むことに意味はあるのだろうか。

 意味はない。心も頭もからからに乾いてくる。

 そうすると、よくある砂漠のオアシスの幻覚のようなものと巡り合う。

 それ自体には意味がある。無から有が出現する手品だ。

 

 読み物の値段、と表題したけれども、読むという行動自体は金で評価できるようなものではないのだろう。行動しているときは確かにそうだけれども、行動を始める瞬間にカードから決済される。

 正直にいうと、これに対して善だとか悪だとか、個人的に好ましいとかそうでないとかいう感想は生まれない。だから、ここにはただある事実を書いているだけである。