読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Song-2-Song

読書感想文・メンタルヘルスについてのあれこれ等。「何者でもない」者の日々の憂い

「時間と死――不在と無のあいだで」中島義道

読書感想文…教養・自己啓発

Amazon CAPTCHA

 

 この本の感想を書く前に、ひとつだけ私の話をしたいと思う。

 私は、SNSを含む、いわゆる「素人の書き物」がとても好きだ。

 そういう書の大半が未完結であるというか、書き手の中で「結論に限りなく近い決めつけ」は起きていても「結論そのもの」は出ていない。読者たる自分の発想をつぎ足す余地がある、というのは得難いことだ。職業ライターの書いた一冊の本にはない、良い特徴だと思う。

 

 という前置きはさておき、この本の感想に話を戻したい。

 時間について作者が本の中で問題提起・検討している部分については、物理学・カント認識論をある程度かみ砕いて理解している読者向けという印象を最初に受けた。しかし、それはどうやらまるで逆だったようだ。

 中島氏は恐らく認識論というものを最も安易な言葉で表現することに心を砕いているようで、読み進めば読み進めるほど

 「アリストテレスからカントにいたるまでの認識論に興味を抱き始めた、そんな初心者にこそ役に立つのではないか」という気持ちが強くなる。

 

 大まかなあらすじとしては、著者が自分の死を想起しはじめたところから始まる。ここから、カント認識論やヒューム・フッサールにいたるまでの「現在に対する認識」を検討し始め、過去・現在・未来の3点とはどういった存在なのか――これまでの学者の解釈に、中島氏の意見が盛り込まれてゆく。

 ここで断じておきたいのは、これは哲学書・哲学を学ぶための教本ではないということだ。あくまでも通説を寄せ集めてなんとか「時間」の正体を暴こうとする、1人の苦悶する老人の、「ああでもない、こうでもない」という放浪の書である。

 

 故に、わたしのように「SNSで拡散されているような書き物を好む」読者に強くおすすめしたい。この本では「時間」について長々と語っておきながら、結論めいたものを述べず、かつそれを自認した上で、「死とは『不在』から『無』への以降である」という付け足したかのような絶望的終章でページが終わる。

 それはどこか物悲しく、狂気もあり、学説の検討書ではなく物語を読んでいるような印象すらある。

 

 電子書籍版が出ていないのが残念だが、装丁がとても私好みだったので、行きつけの書店で取り寄せをしている。手元に置く日が楽しみだ。

 

おわり。