読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Song-2-Song

読書感想文・メンタルヘルスについてのあれこれ等。「何者でもない」者の日々の憂い

或る新興宗教「元」信者の、回想録1

或る新興宗教「元」信者の回想録

 糊口をしのぐ手段として、「読ませる」体裁の文を書くことが多いのにもかかわらず、このブログで繰っている日本語の語彙や文法は、目も当てられないさまである。

 恐らく、ブログの存在そのものが自慰だからであろう。要するに、読み返し・構成の変更・訂正の一切をしていない。内容も閉塞している。

 そりゃ、誰も読まんわけだ。

 

 これから書くことは、ある女性の体験を伝聞として知ったものを、独自で事実関係を洗い、整理したものである。一部脚色や誇張、事実と異なることがあるかもしれないことを、ここで断っておく。

 長年温めてきたことなので、人に読んでもらう体裁で書くつもりだ。

 もし読んでいる人がいるなら、匿名でかまわないので、感想をいただきたい所存。

 なお、体裁としては「自己体験」として書くので、そのように読んでほしい。

 

 

<彼女の暮らしについて>

 私は、妹・母・長子である自分の3人家族だった。当時としては珍しい「授かり婚」であったが、私が3歳の頃に父母の夫婦関係は破たん、別居に至る。それから5年が経過することで、2人の離婚が成立。

 母には兄・姉がそれぞれ2人おり、母自身は5人中の末子であった。母の家庭もまた「父子家庭」で、親族からの冷遇・ほとんど家族を顧みない父(私の祖父)の存在により、兄弟姉妹たちの生活は荒れたものであった。

 最初に、その「宗教」に入信したのは、長女…私から見て、上の伯母であった。

 

<彼女の母の暮らしについて>

 母の両親、つまり私の祖父母は、女系の跡継ぎで祖父が婿養子として迎えられている関係であった。母が10歳ころまでは、祖父母の仲は良好だったという。

 「元公家で資産家」であった母の一族は、長子から年齢順に重んじ、伝統的な男尊女卑の習慣を守っていた。長男(上の伯父)と長女(上の伯母)は激しく反目、末子である母は幽霊同然の扱いであった。母を哀れんで何かと世話をやいた、彼女の祖母(つまり私の曾祖母)は、早々に認知症を患ってしまう。

 

 そのうちに事件が起きる。

 長男(私の上の伯父)が交通事故に巻き込まれ、半身不随となってしまった。相手方から相当額の賠償を引き出すことこそ叶ったが、本家の跡取りが障碍者となってしまった事実は、親族たちを悲観させた。

 長男を溺愛していた私の祖母は、これをきっかけに不倫に走り、駆け落ちをしてしまう。上の伯母はというと、長男が引き続き親族の愛情を独占していることに落胆、自堕落な生活を送るようになった。

 また、一連の事実そのものが、本家筋である母の家族への好奇・軽蔑・非難の見方を強めることになる。その重圧が集中するのは、一番軽視される末子…つまり母であった。

 

 母は、義務教育期間のほとんどを、家庭内暴力・ネグレクト・校内でのいじめ等、枚挙に暇がないほどの冷遇を受けて暮らした。いじめについては、遠方の公立高校に通うことで解消される。母にとっての黄金期は、高校時代と言っても構わないであろう。

 母が高校に進学したころ、長女(私の上の伯母)が結婚。

 その相手が「信者」であった。

 

<母が「入信」するまで>

 その宗教は、信者数ではなく、戸数で統計をとる。

 狙いは明確である。信者を個人単位で獲得したとする。彼ないし彼女の家族全体もまた、入信したものとして強制的に見做し扱えば、事実上の勢力拡大ができるという寸法だ。なお、ふつうは「信者・その配偶者・子」を一括りとして「1戸」とする。

 

 また、新興宗教はたいていそうするように、信者個人での宣教活動を推奨していた。その場合、信者の兄弟姉妹・父母などを積極的にターゲットにするように指示される。

 

 伯母は婚姻により信者となったが、いびつな成長を遂げていた彼女は、たちまち「敬虔な信者」となった。宣教活動も極めて積極的に行い、母を含む兄弟姉妹の全てが信者となった。ここからは、当時の母について言及する。

 母が入信をきめたのは、高校卒業後・就職してから3~4年ごろと想定される。

 バブル初期のころであろう。

 

 銀行員として華やかな生活を送っていた母は、その後精神に変調をきたし辞職。

 入信当時、一人暮らしの自室で、貯金を切り崩しながらギターを弾いていた。当時はまだ概念すら出現していなかった「引きこもり」の、不名誉な先駆けである。

 「集会」や「信者訪問」は、端的に言えば、母の心を癒したと考える。

 それは社会復帰させようという試みの類ではなく、信仰心なるものを確認し合うための習慣だ。それでも、他者が好意的に関係してこようとするのは、支えになったであろう。また、兄弟姉妹やその配偶者との関係も、信者仲間であるという意識によって改善が見られた。

 ここまでは間違いなく、宗教…信仰の「良い面」である。

 

 信者の義務として課せられていることを、少し列挙する。

 まず信者は、「広報」を有料で定期購読しなければならない。

 あわせて、祈りの為の諸々の品も用意しなければならない。

 ・祈りが込められた「ご神体」…家庭での祈りの対象となる。

 ・家庭で「ご神体」を祀るための祭壇…

  安価なものでも、当時の貨幣価値で100万円は下ることはない。

 ・数珠やロザリオに相当するもの。冠婚葬祭用と家庭用で区別。

 ・集金活動/集会時の一定額以上の寄与

 

 まだ若く・生家をあてにすることもできない母にとって、これらの費用を捻出することは、すなわち否が応でも社会復帰せざるを得ないということを意味していた。

 母は再び勤めを始めた。

 ところが、普通の勤めでは、単身での信仰生活を支え切れない。

 母はOLとして勤める一方で、夜の接待業にも身を投じた。

 兄弟姉妹の誰もが、その事実を黙殺した。結局のところ、彼らにはやはり家族愛はなかったわけだ。

 

 異性関係も激しかった母は、数年後、昼の勤め先の男性との間に子を授かる。

 2人が出会ってから、まだ数カ月ほどのことであった。

 母の胎内にいたのが、私であった。

  

 「私」の名づけの際、相当の苦労があったという。

  結婚にあたって、父となる男も信者活動をすることになったが、彼にはこれといった「信仰心」はなかった。ただ母かわいさに、母の言うままに事を成すだけの、愚直な男であった。我が子への愛情も平凡な父親そのもので、夫婦で平凡な名をつけることを望んだという。

 一方で、母が所属する小さな信者集団の中では、初子に老人たちで名前をつけることが習慣化していたようだ。――これは恐らく「宗教」の教義にはないことだが、地方独特の閉塞的な環境との習合によって出来たものであろう。

 では母自身はどうだったのか。

 夫妻の一番の望みは、「私」の誕生により母の躁鬱的性格の改善がもたらされることであった。これを後に「私」に語ったのは父のほうであったが、母にもその望みがあったことは間違いないだろうと推察される。

 信仰や異性関係にもたれかかって生きていた母は、このときようやく自分の意思を示したという。

 

 あらゆる反対を押し切り、母の自由な発想でつけられた名前は、私を苦しめた。

 信者たちからは「縁起のよくない、望まれなかった子」と直接言い渡され、

 そうでないものからも奇異の目で見られた。

 

 ―続く